発達障害の長男を児童相談所に相談するまで

今回初めてブログを書きます。

ブログを始めようと思ったのは、今までの自分の育児を振り返るため、また社会的養護の環境で子どもと離れて暮らす母としての気持ちというのを、今そのような福祉現場で関わっていらっしゃる方にも知っていただけたらということ。そして、私のような思いを抱えていらっしゃる方がいるのならば、共にこれからを支え合っていけるものとなることを願ってのことです。

中には、このブログを読んだ方には不快な感情を持たれる方もいらっしゃると思います。しかし、孤立化しやすい今だから、社会的問題になっている虐待、社会的養護、児童相談所等の支援について考えていくことも必要なのだと思いました。

私は3児の母で、小学生の長男は自閉症スペクトラムです。長男は昨年の12月から、児童心理治療施設に入所しています。入所の経緯は、長男が自宅から黙ってお金をとり、ゲームなどの購入を繰り返したこと、家族みんなが毎日の癇癪に疲れてしまったこと、ショートステイ利用時も問題行動(脱走)があり、レスパイトの利用も困難だったことです。

長男は不登校もありましたが、療育機関、学校、フリースクール等と相談しながら、長男が将来社会で適応できるように、という思いで私も母として必死で育児をしていました。きょうだいである姉、妹には多くの我慢をさせたと思います。姉に至っては、外出先や長男が学校に登校した時に癇癪で泣き叫んでいるところ、時には先生に制止されているところを同級生にみられてとても複雑な思いであることを当時から話していました。

長男はこだわりが強く、自分のやりたいと思ったことは無理な状況でも切り替えが困難で暴れたり、泣き叫んだり。それは本当に日常でした。私も、視覚支援、声かけをペアレントレーニングや、研修、講演会には積極的に参加して自宅でも活用するように努力はしていました。トークンシステムもタイムアウトも、うまくいくことばかりではなく。次第にうまくいかないことに疲れ、もう毎日自宅で過ごす時間が苦痛でした。今だから思うことなのですが、感覚がマヒしていたと思います。長男の姿が日常すぎて。医療、福祉、教育にはつながっていて、相談もしていた。だから、大変でも、私がなんとかやっていかなきゃ、と思っていましたし、癇癪で泣き叫んだり、私達家族が行事や予定をこなすことさえ難しかったことがあまりにも日常化していたのです。

夫は長男が大変な状況でも、仕事が忙しいことから協力体制は万全とは言い難く。

私は、疲労とストレスでまともに思考整理もできていなかったと思います。そんななかで、担当を変わって間もなくの相談支援事業の相談員さんが「児童相談所」に相談に行きましょうと言いました。毎日が限界だと思っていたけれど、私には、そこは最後の砦だと思って、決断はすぐにできませんでした。過去に休日に電話したことがありましたが、当直のかたが「警察に連絡してください。」と言い、私はそれができませんでした。我が子を警察に連れていくということがその時は、どうしてもできなかった。逆にもっとがんばらなきゃって思いました。けれど、私ももう限界だった、生きてても疲れるなと思うこともあった。息子に対して感じる憎悪ももう親として嫌でたまらなかった。このままでは事件になると本気で思ったことはその状況になったことのある方にしかわからないと思います。

児童相談所の対応については、様々な問題がとりあげられていますが、抱える件数の多さから細やかな支援は難しいと思います。まるで、日付変更線をはさんでいるのではないかと思うことは今でもあります。それだけ、まわっていないことがリアルに伝わってきました。

ブログが初めてのため、まとまりのない文章になり、すみません。

今回は中途半端ながらもここまでにしたいと思います。